相川七瀬
小档案
相川 七瀬(あいかわ ななせ、1975年2月16日 - )は、大阪府大阪市東淀川区豊新出身の歌手、カラーセラピスト。ファウンテン所属。
小简介
工藤静香、B'zの稲葉浩志のファン。工藤についてはデビュー前からのファンで、歌番組で初めて共演した際に挨拶をしようとしたところ、緊張のあまり「静香さん、いい匂いがしますね」と発言。
デビュー後5年程度までは、テレビ番組、ライブ等で頻繁にマイクパフォーマンスを披露していた。例としてマイクスタンドを軽く蹴り上げて1回転させる、ステージ下に蹴り落とす、投げ捨てるなど。
PUFFYの吉村由美と顔立ちが似ており、相川はPUFFYのシングル「アジアの純真」のPVを見て、自分の学生時代の顔が使われている!と驚いたという。また吉村の相方・大貫亜美も、相川の「夢見る少女じゃいられない」のPVを見て、「由美はいつの間にソロデビューしたの!?」と驚いたという。現在も公私共に仲がよい。
大好物は酢豚であり、酢豚への価値観が高く、自分ではあまり作らずに外食する時に食べている[2]。
普段テレビに出演時は標準語を話すが、関西出身の司会者、共演者がいる番組では関西弁が出ることがある。HEY!HEY!HEY!(ダウンタウン)、メントレG(TOKIO城島茂)、パパパパパフィー(PUFFY吉村由美)など。
芸能界の友人に真矢、優香、西川貴教、あんじ等がいる。
出身地にはナインティナインの岡村隆史の実家があり、中学の先輩に佐伯貴弘がいる。
自らの子供のことは長男を「こにゃおん」、次男を「ちびにゃおん」と紹介している。ファンの間でもその呼び名で親しまれている。
大事件
1990年、15歳(中学3年)の頃に受けたソニー主催のオーディションで、不合格ながらも、後にトータルプロデューサーとなる織田哲郎と出会う。この時審査で歌った曲は、工藤静香の『嵐の素顔』である。
1992年、高校を中退しアルバイトをしていた17歳の頃、DREAMS COME TRUEやQUEENなど音楽を聴きあさり、歌手になる決心をする。織田に連絡をして上京し、歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。
1995年11月、織田のプロデュースによる『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビュー。所属レコード会社はエイベックスで、所属レーベルはcutting edgeのmotorod[1]。
1996年、ファーストアルバム『Red』をリリース。現在までに240万枚を超すミリオンヒットを記録している。年末には紅白歌合戦に初めて出場、『夢見る少女じゃいられない』を披露した。
1997年自身初のコンサートツアー「Live Emotion」を敢行。最終日の大阪公演では感極まって涙する場面も見られた。同年も紅白出場が有力視されてはいたが、アルバムジャケットの海外撮影と日程が重なったことなどから見送られた。
1999年“第2期相川七瀬”と銘打って、トレードマークだった赤いロングヘアーをバッサリと切り、ショートカットに。色も金色に変え、イメージチェンジ。
2000年にはプロデューサーを布袋寅泰に変え、それまでとは異なる曲調のロックを歌うようになった。
2001年、シングル2枚同時発売。自身の誕生日でもある2月16日に入籍。その後もスタジオ作業は継続し、出産直前まで制作に携わったミニアルバム「The Last Quarter 」を発表。各方面で活躍するミュージシャンとのコラボレーションによる初のバラードアルバム。 2002年、出産後、ほぼ2年振りのライブハウスツアー「THE GIG 03 LIVE IT NOW」により全国のファンに向け相川七瀬"完全復活"を印象付けた。音楽活動以外でも2002年7月に小学館より絵本「ぼくはくじら」を発表。12月にも絵本の第二弾「くじらサンタ」を発表する。
2003年デビュー以来共にしてきた織田のプロデュースを離れ、新たに岡野ハジメをプロデュースに迎える。12月31日は三重ナガシマスパーランドにて初のカウントダウンライブを行う。このころ前世医療法で自身が深く癒されたことをきっかけに、独学でセラピーに関する勉強をして、11月にはイギリスの団体からカラーセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を当時最年少で取得。翌年にはセラピーや占星術に関連する学校を設立するなど多方面に進出している。
2004年2月には、2年半振りの待望のオリジナルアルバム「7 seven」をリリース。3月にはカラーセラピー本「恋のダイス&ルーレット」と不思議体験を綴った「バリコワ」を出版。また、5月8日からは、約4年振りとなる全国ホールツアー「Live Emotion "7 seven"」を、7月から毎年恒例のライブTOUR AIKAWA NANASE " 7 seven" THE GIG '04を行い精力的に活動し、11月8日からデビュー10年目に突入。12月31日は長崎ハウステンボスにて、2回目のカウントダウンライブを行う。
2005年、TVドラマ『87%』にレギュラー出演する。ドラマ出演は初めて。この年から「七瀬の日」と題して7月7日にSHIBUYA-AXでライブを毎年開催している(妊娠9ヶ月の2007年もライブを普通に敢行し、後で助産師に叱られたという)。サポートメンバーには元X JAPANのPATAや元LUNA SEAの真矢、元メガデスのマーティ・フリードマンなどが参加。 また年末には、翌年から全国展開する洋服ブランド「VAL VALENZA」の春夏イメージキャラクターに決定し、ファッション雑誌の広告、各店舗で1日店長などを務めた。
2007年、第2子を出産。この頃から音楽雑誌の他に、主婦・子育てをする母親を対象とする育児雑誌にも活動の場を広げ、インタビューが掲載されるようになる。
2008年5月に2年振りの新曲「PRISM」で限定配信リリースされた。年末には3年ぶりのオリジナルアルバムが発売予定。
相川 七瀬(あいかわ ななせ、1975年2月16日 - )は、大阪府大阪市東淀川区豊新出身の歌手、カラーセラピスト。ファウンテン所属。
小简介
工藤静香、B'zの稲葉浩志のファン。工藤についてはデビュー前からのファンで、歌番組で初めて共演した際に挨拶をしようとしたところ、緊張のあまり「静香さん、いい匂いがしますね」と発言。
デビュー後5年程度までは、テレビ番組、ライブ等で頻繁にマイクパフォーマンスを披露していた。例としてマイクスタンドを軽く蹴り上げて1回転させる、ステージ下に蹴り落とす、投げ捨てるなど。
PUFFYの吉村由美と顔立ちが似ており、相川はPUFFYのシングル「アジアの純真」のPVを見て、自分の学生時代の顔が使われている!と驚いたという。また吉村の相方・大貫亜美も、相川の「夢見る少女じゃいられない」のPVを見て、「由美はいつの間にソロデビューしたの!?」と驚いたという。現在も公私共に仲がよい。
大好物は酢豚であり、酢豚への価値観が高く、自分ではあまり作らずに外食する時に食べている[2]。
普段テレビに出演時は標準語を話すが、関西出身の司会者、共演者がいる番組では関西弁が出ることがある。HEY!HEY!HEY!(ダウンタウン)、メントレG(TOKIO城島茂)、パパパパパフィー(PUFFY吉村由美)など。
芸能界の友人に真矢、優香、西川貴教、あんじ等がいる。
出身地にはナインティナインの岡村隆史の実家があり、中学の先輩に佐伯貴弘がいる。
自らの子供のことは長男を「こにゃおん」、次男を「ちびにゃおん」と紹介している。ファンの間でもその呼び名で親しまれている。
大事件
1990年、15歳(中学3年)の頃に受けたソニー主催のオーディションで、不合格ながらも、後にトータルプロデューサーとなる織田哲郎と出会う。この時審査で歌った曲は、工藤静香の『嵐の素顔』である。
1992年、高校を中退しアルバイトをしていた17歳の頃、DREAMS COME TRUEやQUEENなど音楽を聴きあさり、歌手になる決心をする。織田に連絡をして上京し、歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。
1995年11月、織田のプロデュースによる『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビュー。所属レコード会社はエイベックスで、所属レーベルはcutting edgeのmotorod[1]。
1996年、ファーストアルバム『Red』をリリース。現在までに240万枚を超すミリオンヒットを記録している。年末には紅白歌合戦に初めて出場、『夢見る少女じゃいられない』を披露した。
1997年自身初のコンサートツアー「Live Emotion」を敢行。最終日の大阪公演では感極まって涙する場面も見られた。同年も紅白出場が有力視されてはいたが、アルバムジャケットの海外撮影と日程が重なったことなどから見送られた。
1999年“第2期相川七瀬”と銘打って、トレードマークだった赤いロングヘアーをバッサリと切り、ショートカットに。色も金色に変え、イメージチェンジ。
2000年にはプロデューサーを布袋寅泰に変え、それまでとは異なる曲調のロックを歌うようになった。
2001年、シングル2枚同時発売。自身の誕生日でもある2月16日に入籍。その後もスタジオ作業は継続し、出産直前まで制作に携わったミニアルバム「The Last Quarter 」を発表。各方面で活躍するミュージシャンとのコラボレーションによる初のバラードアルバム。 2002年、出産後、ほぼ2年振りのライブハウスツアー「THE GIG 03 LIVE IT NOW」により全国のファンに向け相川七瀬"完全復活"を印象付けた。音楽活動以外でも2002年7月に小学館より絵本「ぼくはくじら」を発表。12月にも絵本の第二弾「くじらサンタ」を発表する。
2003年デビュー以来共にしてきた織田のプロデュースを離れ、新たに岡野ハジメをプロデュースに迎える。12月31日は三重ナガシマスパーランドにて初のカウントダウンライブを行う。このころ前世医療法で自身が深く癒されたことをきっかけに、独学でセラピーに関する勉強をして、11月にはイギリスの団体からカラーセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を当時最年少で取得。翌年にはセラピーや占星術に関連する学校を設立するなど多方面に進出している。
2004年2月には、2年半振りの待望のオリジナルアルバム「7 seven」をリリース。3月にはカラーセラピー本「恋のダイス&ルーレット」と不思議体験を綴った「バリコワ」を出版。また、5月8日からは、約4年振りとなる全国ホールツアー「Live Emotion "7 seven"」を、7月から毎年恒例のライブTOUR AIKAWA NANASE " 7 seven" THE GIG '04を行い精力的に活動し、11月8日からデビュー10年目に突入。12月31日は長崎ハウステンボスにて、2回目のカウントダウンライブを行う。
2005年、TVドラマ『87%』にレギュラー出演する。ドラマ出演は初めて。この年から「七瀬の日」と題して7月7日にSHIBUYA-AXでライブを毎年開催している(妊娠9ヶ月の2007年もライブを普通に敢行し、後で助産師に叱られたという)。サポートメンバーには元X JAPANのPATAや元LUNA SEAの真矢、元メガデスのマーティ・フリードマンなどが参加。 また年末には、翌年から全国展開する洋服ブランド「VAL VALENZA」の春夏イメージキャラクターに決定し、ファッション雑誌の広告、各店舗で1日店長などを務めた。
2007年、第2子を出産。この頃から音楽雑誌の他に、主婦・子育てをする母親を対象とする育児雑誌にも活動の場を広げ、インタビューが掲載されるようになる。
2008年5月に2年振りの新曲「PRISM」で限定配信リリースされた。年末には3年ぶりのオリジナルアルバムが発売予定。
单曲