中川イサト
中川砂仁(Nakagawa Isato)
1947年生于日本大阪。中川砂仁目前为日本首席Fingerstyle吉他作曲家、演奏家,在他吉他生涯中已出版了二十馀张吉
他专辑,从早期的美式Blues、Ragtime曲风承袭了完整的吉他技巧,逐渐发展出自己的风格,以充满东方色彩的吉他音乐,在吉他界中有一片天,并跃上国际舞台。
就读于高中期间中川加入了一支夏威夷风格乐队,并由此爱上了音乐。所以他学会的第一样乐器并不是吉他,而是夏威夷的四弦乐器尤克里里琴。17岁时他开始演奏吉他。那时正逢他的朋友组了一个民谣组合,排练Peter, Paul & Mary(注:美国六十年代著名的民谣三人组)的作品。他们的表演给了年轻的中川很大的激励。
高中毕业后他加入了几个不同的民谣组合,和朋友一起,模仿Kingston Trio, Peter, Paul & Mary等人的风格。直到某天他与著名原创歌手西冈たかし(Nishioka Takashi)相识,并在1967年共同组建了闻名遐迩的日本民谣组“五只红气球”(五つの赤い风船)。
1969年,由于音乐发展方向上的分歧,中川离开了组合。从那之后,中川开始与许多知名的歌手合作演出、录音,与此同时,他也在自己的吉他音乐之路上不断探求。1972年,中川与村上律结成了二人组合“律和Isato”(律とイサト),所追求的音乐风格为美国老音乐。七三年之后,中川转以个人活动为中心。七六年他在日本开设了吉他学校,培养了一批吉他演奏者,经历十三年后,于1989年闭校。1970至2003年期间,中川共发行了19张专辑。在作曲和探寻吉他音乐新方向等方面也十分活跃。
中川在德国的第一张专辑于1996年发行,同时他也参加了欧洲各地多场演奏会,并组织了原声吉他指弹风格的外国演奏家们共同巡演,如:Peter Finger, Jacques Stotzem, Preston Reed, Ed Gerhard, Martin Simpson, Tim Sparks, Sandor Szabo, Franco Morone和Don Ross等。
他还对押尾光太郎产生了巨大影响(10岁教他吉他)。
中川砂仁的部分学生:
中川砂仁作为日本指弹界的元老人物,培养了许多学生,其中不乏相当有名的后辈。
岸部真明(Masaaki Kishibe)
押尾光太郎(Kotaro Oshio)
下山亮平(Ryohei Shimoyama)
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中川 イサト(なかがわ イサト(砂人)、1947年1月30日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター。日本におけるフィンガーピッカーの草分けの一人。
五つの赤い風船で、西岡たかし、長野たかし、藤原秀子らとともに活動。解散後、金延幸子、瀬尾一三、松田幸一らと愚を結成した。村上律と中川イサトというフォークデュオでアルバムをリリース。シンガーソングライターとしては、『1970年』『お茶の時間』『黄昏気分』をリリース。
『1310』を皮切りにアコースティックギターのインストゥルメンタル作品の発表、コンサートも行っている。1975年の中川イサト名義のオムニバスライヴ『鼻歌とお月さん』では、いとうたかお、大塚まさじ、加川良、金森幸介、シバ(三橋誠)、西岡恭蔵をボーカルに迎えている。泉谷しげる、西岡たかし名義のアルバムでも両者の味を引き出している。その他、参加アルバム多数。
近年はフィンガーピッカーとしての活動が主体であり、嘉門達夫、押尾コータロー、岸部眞明、ゴンチチらの後進の活動を後押しし、また代田幸子ら若手のミュージシャンとの共演にも意欲的に取り組んでいる。
1947年生于日本大阪。中川砂仁目前为日本首席Fingerstyle吉他作曲家、演奏家,在他吉他生涯中已出版了二十馀张吉
他专辑,从早期的美式Blues、Ragtime曲风承袭了完整的吉他技巧,逐渐发展出自己的风格,以充满东方色彩的吉他音乐,在吉他界中有一片天,并跃上国际舞台。
就读于高中期间中川加入了一支夏威夷风格乐队,并由此爱上了音乐。所以他学会的第一样乐器并不是吉他,而是夏威夷的四弦乐器尤克里里琴。17岁时他开始演奏吉他。那时正逢他的朋友组了一个民谣组合,排练Peter, Paul & Mary(注:美国六十年代著名的民谣三人组)的作品。他们的表演给了年轻的中川很大的激励。
高中毕业后他加入了几个不同的民谣组合,和朋友一起,模仿Kingston Trio, Peter, Paul & Mary等人的风格。直到某天他与著名原创歌手西冈たかし(Nishioka Takashi)相识,并在1967年共同组建了闻名遐迩的日本民谣组“五只红气球”(五つの赤い风船)。
1969年,由于音乐发展方向上的分歧,中川离开了组合。从那之后,中川开始与许多知名的歌手合作演出、录音,与此同时,他也在自己的吉他音乐之路上不断探求。1972年,中川与村上律结成了二人组合“律和Isato”(律とイサト),所追求的音乐风格为美国老音乐。七三年之后,中川转以个人活动为中心。七六年他在日本开设了吉他学校,培养了一批吉他演奏者,经历十三年后,于1989年闭校。1970至2003年期间,中川共发行了19张专辑。在作曲和探寻吉他音乐新方向等方面也十分活跃。
中川在德国的第一张专辑于1996年发行,同时他也参加了欧洲各地多场演奏会,并组织了原声吉他指弹风格的外国演奏家们共同巡演,如:Peter Finger, Jacques Stotzem, Preston Reed, Ed Gerhard, Martin Simpson, Tim Sparks, Sandor Szabo, Franco Morone和Don Ross等。
他还对押尾光太郎产生了巨大影响(10岁教他吉他)。
中川砂仁的部分学生:
中川砂仁作为日本指弹界的元老人物,培养了许多学生,其中不乏相当有名的后辈。
岸部真明(Masaaki Kishibe)
押尾光太郎(Kotaro Oshio)
下山亮平(Ryohei Shimoyama)
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中川 イサト(なかがわ イサト(砂人)、1947年1月30日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター。日本におけるフィンガーピッカーの草分けの一人。
五つの赤い風船で、西岡たかし、長野たかし、藤原秀子らとともに活動。解散後、金延幸子、瀬尾一三、松田幸一らと愚を結成した。村上律と中川イサトというフォークデュオでアルバムをリリース。シンガーソングライターとしては、『1970年』『お茶の時間』『黄昏気分』をリリース。
『1310』を皮切りにアコースティックギターのインストゥルメンタル作品の発表、コンサートも行っている。1975年の中川イサト名義のオムニバスライヴ『鼻歌とお月さん』では、いとうたかお、大塚まさじ、加川良、金森幸介、シバ(三橋誠)、西岡恭蔵をボーカルに迎えている。泉谷しげる、西岡たかし名義のアルバムでも両者の味を引き出している。その他、参加アルバム多数。
近年はフィンガーピッカーとしての活動が主体であり、嘉門達夫、押尾コータロー、岸部眞明、ゴンチチらの後進の活動を後押しし、また代田幸子ら若手のミュージシャンとの共演にも意欲的に取り組んでいる。
单曲