さだまさし
小档案
さだ まさし(本名・佐田雅志、1952年4月10日 - )は長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家。ファンとスタッフの間では「まっさん」の愛称で親しまれている。身長:160.5cm。血液型:A型。
小简介
二人組のフォークデュオ、グレープでデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。 ソロシンガーになってからも「雨やどり」、「関白宣言」、「北の国から〜遥かなる大地より〜」など数々のヒット曲・有名曲を生み出してきた。その叙情的で文学的な歌詩の世界は独自のものとして定評がある。
2009年現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手であり、その回数は實に3500回を越えている。
またトークの軽妙さはテレビ、ラジオでも、またコンサートのMCにおいてもさだの大きな魅力となっている。近年では小説家としても活動している。
國學院高等学校卒業、國學院大學法学部中退。趣味はゴルフ。
弟はさだ企画社長で、元サッカー選手でもある佐田繁理。妹は、歌手の佐田玲子。
息子は、2007年現在桐朋学園大学在学中のヴァイオリニスト佐田大陸。
長崎市で佐田家の長男として生まれる。父・雅人は第二次世界大戦終戦後、長崎出身の戦友とともに復員し、そのまま長崎に住み着いた。その後、戦友の妹・喜代子と結婚し、雅志・繁理・玲子の三人の子をもうけている。雅志の幼少時は、父・雅人は材木商を営み、自宅は庭に小山があるような豪邸だったという。
3歳よりヴァイオリンを習い始め、毎日学生音楽コンクール西部地区大会で入賞するなどの上達ぶりを見せる。一方、父の事業が失敗し、一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなる。
小学校卒業後、ヴァイオリン修行のため単身上京。以後、葛飾区や千葉県市川市で一人暮らしを続けることになる。中学生時代に加山雄三やサイモン&ガーファンクルに影響され、ギターを奏でながら歌を作るようになる。その一方東京藝術大学付属高校(途中で東京都立駒場高等学校芸術科(現東京都立芸術高等学校)に志望校を変更)の受験に失敗し、失意の中國學院高等学校に入学。以来ヴァイオリンへの熱意を失う。ただし創造性とでも言うべきユニークな才能は高等学校在学中にもいかんなく発揮され、数多くの武勇伝や逸話を残している。
大事件
1976年のグレープ解散後、一時業界からはなれる。体調を崩していたさだは、療養と共に就職を考えるも活動が上手くいかず、同年11月、「線香花火」でソロ活動を始める。
1977年に、雨やどりがきっかけで恋に落ち、結婚まで繋がる姿をコミカルに歌ったシングル「雨やどり」がオリコンシングルチャート1位になる大ヒットとなる。これが、さだにとってグレープ時代から通じて初めての首位獲得である(一番売れた「精霊流し」でも最高2位であった)。後に異ヴァージョン(「もうひとつの雨やどり」、「雨どりや」、ライブにて、谷村新司との自虐コラボレーション「雨昴」)が作られるほどの大ヒットとなった。
1978年10月、個人レーベル「フリーフライト」設立。
1979年1月、同レーベルから初のシングル「天までとどけ」をリリース。
同年7月にリリースした「関白宣言」が150万枚を超える大ヒットとなる。他にも「案山子」「親父の一番長い日」「道化師のソネット」「防人の詩」「驛舎」など、数々のヒット曲を放つ。
1980年、映画『翔べイカロスの翼』(主題歌は「道化師のソネット」。共演は原田美枝子)にサーカス団のピエロの青年役として主演、音楽も担当。一方、翌1981年にかけ、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画『長江』(主題歌は「生生流転」)を制作(1981年11月公開)。映画自体は120館上映というヒットであったものの、それ以上に制作費を掛け過ぎてしまったため、約30億円もの負債が残った[1]。また、この頃の大ヒットの反動から「暗い(ネクラ)」「右翼」「左翼」「軟弱」「女性蔑視」など様々なバッシングを受けることになる。
1981年、フジテレビ系ドラマ『北の国から』の音楽を担当。主題歌は歌誌のないものだが大変有名な曲となる。
1985年、ソロ・コンサート通算1000回(東京厚生年金会館)を達成。
1987年8月、故郷長崎市で「長崎から広島に向って歌う」無料平和祈念コンサート『夏・長崎から』を開催。以後2006年までの20年間毎年8月6日に長崎でコンサートを行い、地元市民だけはなく全国からファンが集まる長崎市の夏の一大イベントとなった。
1993年、ソロ・コンサート通算2000回(大阪フェスティバルホール)を達成。
1995年、長崎市に平和祈念のミュージアムを作る「ナガサキピーススフィア貝の火運動」を開始(2003年4月にナガサキピースミュージアム開館)。
1996年、長崎県県民栄誉賞を受賞。
2000年4月1日、福岡ダイエーホークス開幕戦にて君が代を独唱。ロンドン・ロイヤルアルバートホールにて日本人男性歌手では初となるコンサートを行う。
2001年9月、小説『精霊流し』を発表。後にNHKでテレビドラマ化され、さらに映画化もされた。さらに、小説にのっとって選ばれた音楽をまとめたアルバム『小説 精霊流しの世界』を発売。
児童書『おばあちゃんのおにぎり』発刊。2002年にひろすけ童話賞を受賞する。
2002年3月21日、ソロ・コンサート通算3000回(東京国際フォーラム)という前人未到の偉業を達成。9-12月、デビュー30周年記念コンサート・ツアー『MOON-BOW at THE 30th』を東京・名古屋・大阪にて各8夜構成で開催。グレープ・デビューからの時系列に沿って8日間掛けて足跡を辿っていくという趣向で曲目、バンド編成が日替わりのスペシャルコンサート。12月、小説集『解夏(げげ)』発表。2004年に映画化、フジテレビ月9枠で『愛し君へ』としてドラマ化。
2004年12月、長編小説『眉山』発表。
2005年8月17日、FIFAワールドカップ予選日本対イラン」の試合にて「君が代」を独唱。9月6・7日、「ソロ通算3333回記念コンサート」を日本武道館にて2日間開催。同7日に32作目のオリジナルアルバム『とこしへ』発売。10月、サッポロビール「冬物語」で初のパッケージデザイン。
2006年1月1日未明にNHK総合テレビでさだ司会の生放送特番『新春いきなり生放送!!「年の初めはさだまさし」』が放送される。好評を博したため、5月・8月に続編が放送、翌2007年1月1日未明にも『2007年新春生放送 年の初めはさだまさし』が放送され、3月にも続編が放送されている。
2006年4月、シングル「がんばらんば(長崎弁ヴァージョン)」をリリース(他のヴァージョンが収録されているわけではない)。
2006年8月6日、最後の『夏・長崎から』である「2006 夏 長崎から さだまさし ファイナル」を行う。その際に「来年は8月9日に広島から長崎に向かって歌うコンサートをやるよ」と宣言する。
2006年、『夏・長崎から』の活動に対し、第48回日本レコード大賞・特別賞を受賞する。
2007年8月9日 広島市民球場開設50周年記念 「2007 夏 広島から さだまさし」を開催。広島市民球場でコンサートを行うのは2004年の奥田民生に次いで2人目。
2008年秋、美空ひばりの曲をカバーしたアルバム『情継 こころをつぐ』をリリース。トップ10入りを果たす。しかし、惜しくも出続けていたNHK紅白歌合戦落選。なお、『年の初めはさだまさし』は行われた。
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