森高千里
小档案
森高 千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里、旧姓:森高 1969年4月11日 - )は、歌手、作詞家、作曲家、ドラマー。身長161cm。血液型O型。所属事務所はアップフロントエージェンシー。愛称は「森高」、「ちーちゃん」。九州女学院(現・ルーテル学院高等学校)→堀越高等学校卒業。 夫は俳優の江口洋介。一男一女の母。
小简介
歌手デビューは1987年5月25日発売の『NEW SEASON』であるが、これはEPレコードだった(B面は『ピリオド』)。 また同年10月25日にもEPで『OVERHEAT. NIGHT』(B面:『WEEKEND BLUE』)が発売されている。
CDとレコードでリリースされたのは『GET SMILE / GOOD-BYE SEASON』からだが、当時はレコードからCDに替わる過渡期であったため、後日改めて『NEW SEASON』と『OVERHEAT. NIGHT』を合わせたシングルCDを発売した。
大事件
デビュー前
大阪府に生まれ、幼少の時期に熊本県(両親の出身地)に移り、熊本市で育った。
芸能活動を開始する前の高校生当時、当時組んでいたバンドではドラム担当だった。ボーカルは本来得意ではなかった。
1986年、大塚製薬・ポカリスエットのCMのヒロインのオーディションに合格(グランプリ獲得)、芸能界デビュー。このポカリスエットのCMでは名前の似たコピーライター糸井重里と共演し、話題となった。
メジャーデビュー
デビュー曲『NEW SEASON』は、東宝映画『あいつに恋して』の主題歌。パーカッションを叩きながら歌うというスタイルは、当時ヒットしていた「プリンス」ファミリーのシーラ・E(Sheila E.)と同じである。デビュー当時はTVのバラエティ番組で着ぐるみをかぶったり、作詞家の作った歌と自分の性格が合わなかったり等、疑問を感じていた。しかし、初めてのライブで音楽の楽しさを知り、事務所と相談して音楽活動一本に絞った活動をしていくこととなる。
作詞の森高
森高は作詞面で注目され、独特な詞の世界と相まって森高ブランドを確立していく。初の作詞は、セカンドアルバム『ミーハー』に収録されたタイトル曲『ミーハー』。以後、ほとんど全ての曲の作詞を手がけるようになる。作詞については、「最初にインストルメンタルの曲を聞いてから歌詞をつける」スタイルであると音楽番組で語っている。当時は「ザ・ミーハー」、「怒りソング」など「とんがった」歌が多かった。森高の歌詞を聞いた吉田拓郎は、「我々ミュージシャンが、今まで何十年もの期間をかけて作り上げた詞の世界観を、森高が一瞬で破壊してしまった。」とコメントしている。
ビジュアル戦略
1989年、シングル『17才』(南沙織のヒット曲のカバー)が大ヒット。数種類のカラーのMパンツ、ミニスカートや総スパンコールの衣装と振付で話題を呼んだ。また、「森高フィギュア」なるものも登場し、コアな男性ファンも獲得する。当時はビジュアル面での営業戦略として、斬新なプロモーションビデオを販売する展開もしていた。当時所属のレコード会社が、パイオニア資本のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)だったこともあり、秋葉原電気街ではレーザーディスク本体の店頭デモンストレーションのほとんどが森高一色と呼べるほどになった時期もある。毎年実施されていたコンサートやプロモーションビデオのほとんどがレーザーディスクとVHSで販売され、後年DVDにて再発された[1]。
台湾や東南アジアでもアルバムが発売され(ほとんどは海賊盤)、森高の楽曲をカバーするシンガーもいた。1989年に「ミーハー」をシンガポール出身の安可立という女性アイドルがカバーしたが、この楽曲を収録したアルバムのライナーノーツには「非実力派宣言」と大きく書いてあった[2]。
『私がオバさんになっても』(1992年)からは女性ファンの数も増え、コンサート会場で同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られるようになった。
全国ツアー、紅白出場
女性ソロアーティストとしては初めての全都道府県ツアーを1992年と1993年に行なったが、1994年は顎関節症の為に予定されていた全国ツアーをキャンセル。2年間のコンサート休業を余儀なくされた。この病気にかかった事が発覚した際、「ミュージックステーション」への出演が予定されていたが、歌を歌うことは出来なかった。しかし、本人が番組に出演し、病気にかかったことを視聴者に報告した。
レコード大賞、歌謡大賞などの賞レースには縁が薄かったが、1992年に「今度私どこか連れていって下さいよ」(作詞:森高千里)のカバーで、事務所の後輩加藤紀子が第34回日本レコード大賞新人賞を獲得している。
紅白歌合戦には1992年「私がオバさんになっても」で初出場、以降「私の夏」「素敵な誕生日」「二人は恋人」「ララ サンシャイン」「SWEET CANDY」と6回連続出場する。なお、もともとタイアップ曲の多い森高であったが、紅白で歌った楽曲の全てがCF、民放番組主題歌等のタイアップであった。1994年のビールのCMソングであった『気分爽快』は明石家さんまが様々な番組で模倣し、話題になった。
ミュージシャンの森高
森高はミュージシャンとしての才能も高く、アルバム『ペパーランド』(高校時代よく利用したライブハウスの名前)からは各種楽器にも挑戦し(ステージではギター、キーボード、ドラム、リコーダー等披露)、他のミュージシャン作品にドラマーとして参加するなどしている(CFで夫婦役を演じた細野晴臣とのリズム・セクションは定評あり)。1990年代後半になると、作風もエッセイ風の歌詞を数多く手がけるようになる。1998年発売のアルバム「Sava Sava」では、誘惑と自制がテーマの「Two of me」、男性との恋のもどかしさを描いた「ザルで水くむ恋心」、見知らぬ人と性の誘惑に堕ちていく「危険な舗道」など、大人の男女関係を意識した歌詞がみられる。
1999年6月3日、俳優の江口洋介と入籍したが、翌日の会見時には妊娠から2週間目(急性腸炎で入院した際に偶然判明)という事も明らかにされた。
2000年2月に長女を出産し、同年4月のラジオのレギュラー番組終了で公の場での芸能活動は休業する。
最近の活動
1男1女の母である森高は、子育てを中心に雑誌の連載、ベストアルバムのレコーディングやCM出演などの活動をしている。また、2005年に発売されたテイ・トウワのアルバム『FLASH』にドラマーとして参加するなど、単発的ではあるが子育てに支障のない限りミュージシャンとしての活動も行っている。
2007年5月に自身のヒット曲「渡良瀬橋」の歌碑が足利市にある渡良瀬橋のそばに完成。また同月には日産・ラフェスタのCFソングが発表された。
2008年12月6日に事務所の後輩のシャ乱Q結成20周年記念「ハタチのシャ乱Qみんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル~長いよ~」にゲスト出演し、9年ぶりに公の場で「渡良瀬橋」(キーボードの弾き語りで披露)と「気分爽快」の2曲を歌った。
ハウスジャワカレーのCMでは夫・江口洋介と共演している。
森高 千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里、旧姓:森高 1969年4月11日 - )は、歌手、作詞家、作曲家、ドラマー。身長161cm。血液型O型。所属事務所はアップフロントエージェンシー。愛称は「森高」、「ちーちゃん」。九州女学院(現・ルーテル学院高等学校)→堀越高等学校卒業。 夫は俳優の江口洋介。一男一女の母。
小简介
歌手デビューは1987年5月25日発売の『NEW SEASON』であるが、これはEPレコードだった(B面は『ピリオド』)。 また同年10月25日にもEPで『OVERHEAT. NIGHT』(B面:『WEEKEND BLUE』)が発売されている。
CDとレコードでリリースされたのは『GET SMILE / GOOD-BYE SEASON』からだが、当時はレコードからCDに替わる過渡期であったため、後日改めて『NEW SEASON』と『OVERHEAT. NIGHT』を合わせたシングルCDを発売した。
大事件
デビュー前
大阪府に生まれ、幼少の時期に熊本県(両親の出身地)に移り、熊本市で育った。
芸能活動を開始する前の高校生当時、当時組んでいたバンドではドラム担当だった。ボーカルは本来得意ではなかった。
1986年、大塚製薬・ポカリスエットのCMのヒロインのオーディションに合格(グランプリ獲得)、芸能界デビュー。このポカリスエットのCMでは名前の似たコピーライター糸井重里と共演し、話題となった。
メジャーデビュー
デビュー曲『NEW SEASON』は、東宝映画『あいつに恋して』の主題歌。パーカッションを叩きながら歌うというスタイルは、当時ヒットしていた「プリンス」ファミリーのシーラ・E(Sheila E.)と同じである。デビュー当時はTVのバラエティ番組で着ぐるみをかぶったり、作詞家の作った歌と自分の性格が合わなかったり等、疑問を感じていた。しかし、初めてのライブで音楽の楽しさを知り、事務所と相談して音楽活動一本に絞った活動をしていくこととなる。
作詞の森高
森高は作詞面で注目され、独特な詞の世界と相まって森高ブランドを確立していく。初の作詞は、セカンドアルバム『ミーハー』に収録されたタイトル曲『ミーハー』。以後、ほとんど全ての曲の作詞を手がけるようになる。作詞については、「最初にインストルメンタルの曲を聞いてから歌詞をつける」スタイルであると音楽番組で語っている。当時は「ザ・ミーハー」、「怒りソング」など「とんがった」歌が多かった。森高の歌詞を聞いた吉田拓郎は、「我々ミュージシャンが、今まで何十年もの期間をかけて作り上げた詞の世界観を、森高が一瞬で破壊してしまった。」とコメントしている。
ビジュアル戦略
1989年、シングル『17才』(南沙織のヒット曲のカバー)が大ヒット。数種類のカラーのMパンツ、ミニスカートや総スパンコールの衣装と振付で話題を呼んだ。また、「森高フィギュア」なるものも登場し、コアな男性ファンも獲得する。当時はビジュアル面での営業戦略として、斬新なプロモーションビデオを販売する展開もしていた。当時所属のレコード会社が、パイオニア資本のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)だったこともあり、秋葉原電気街ではレーザーディスク本体の店頭デモンストレーションのほとんどが森高一色と呼べるほどになった時期もある。毎年実施されていたコンサートやプロモーションビデオのほとんどがレーザーディスクとVHSで販売され、後年DVDにて再発された[1]。
台湾や東南アジアでもアルバムが発売され(ほとんどは海賊盤)、森高の楽曲をカバーするシンガーもいた。1989年に「ミーハー」をシンガポール出身の安可立という女性アイドルがカバーしたが、この楽曲を収録したアルバムのライナーノーツには「非実力派宣言」と大きく書いてあった[2]。
『私がオバさんになっても』(1992年)からは女性ファンの数も増え、コンサート会場で同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られるようになった。
全国ツアー、紅白出場
女性ソロアーティストとしては初めての全都道府県ツアーを1992年と1993年に行なったが、1994年は顎関節症の為に予定されていた全国ツアーをキャンセル。2年間のコンサート休業を余儀なくされた。この病気にかかった事が発覚した際、「ミュージックステーション」への出演が予定されていたが、歌を歌うことは出来なかった。しかし、本人が番組に出演し、病気にかかったことを視聴者に報告した。
レコード大賞、歌謡大賞などの賞レースには縁が薄かったが、1992年に「今度私どこか連れていって下さいよ」(作詞:森高千里)のカバーで、事務所の後輩加藤紀子が第34回日本レコード大賞新人賞を獲得している。
紅白歌合戦には1992年「私がオバさんになっても」で初出場、以降「私の夏」「素敵な誕生日」「二人は恋人」「ララ サンシャイン」「SWEET CANDY」と6回連続出場する。なお、もともとタイアップ曲の多い森高であったが、紅白で歌った楽曲の全てがCF、民放番組主題歌等のタイアップであった。1994年のビールのCMソングであった『気分爽快』は明石家さんまが様々な番組で模倣し、話題になった。
ミュージシャンの森高
森高はミュージシャンとしての才能も高く、アルバム『ペパーランド』(高校時代よく利用したライブハウスの名前)からは各種楽器にも挑戦し(ステージではギター、キーボード、ドラム、リコーダー等披露)、他のミュージシャン作品にドラマーとして参加するなどしている(CFで夫婦役を演じた細野晴臣とのリズム・セクションは定評あり)。1990年代後半になると、作風もエッセイ風の歌詞を数多く手がけるようになる。1998年発売のアルバム「Sava Sava」では、誘惑と自制がテーマの「Two of me」、男性との恋のもどかしさを描いた「ザルで水くむ恋心」、見知らぬ人と性の誘惑に堕ちていく「危険な舗道」など、大人の男女関係を意識した歌詞がみられる。
1999年6月3日、俳優の江口洋介と入籍したが、翌日の会見時には妊娠から2週間目(急性腸炎で入院した際に偶然判明)という事も明らかにされた。
2000年2月に長女を出産し、同年4月のラジオのレギュラー番組終了で公の場での芸能活動は休業する。
最近の活動
1男1女の母である森高は、子育てを中心に雑誌の連載、ベストアルバムのレコーディングやCM出演などの活動をしている。また、2005年に発売されたテイ・トウワのアルバム『FLASH』にドラマーとして参加するなど、単発的ではあるが子育てに支障のない限りミュージシャンとしての活動も行っている。
2007年5月に自身のヒット曲「渡良瀬橋」の歌碑が足利市にある渡良瀬橋のそばに完成。また同月には日産・ラフェスタのCFソングが発表された。
2008年12月6日に事務所の後輩のシャ乱Q結成20周年記念「ハタチのシャ乱Qみんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル~長いよ~」にゲスト出演し、9年ぶりに公の場で「渡良瀬橋」(キーボードの弾き語りで披露)と「気分爽快」の2曲を歌った。
ハウスジャワカレーのCMでは夫・江口洋介と共演している。
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